イベントQ&A 豊島個人宛て 前篇

こんにちは。豊島ミホです。
あついなー。台風当たってるみなさん、大丈夫でしょうか……。
少々遅くなりましたが、先月27日の「文芸あねもね」トークイベントでいただきながら
会場でお答えすることができなかった質問(のうち、私個人宛てのもの)の
回答をここに掲載させていただきます。
私宛の質問は、著作の内容や個人的状況に突っ込んだものが多かったので、
あねもねブログでなく、こちらに持ち帰らせていただきました。ご了承下さい。
さらに、量が多いので記事2つに分けています。この下もあります。
イベントでは「すっぱり短く回答するからまかせろ」とか
司会のトリコさんに言ってたのに、書いたらこってりになっちゃいました……。
まじこってりなので記事を折ってます。ぜひお時間お持ちの時に!
宮木さんとふたり宛てにいただいた質問にはこちらで回答しておりますので、
まだご覧になっていないかたはどうぞ〜。


●高校時代、豊島さんの底辺女子高生を読んでとても共感したものです。自己肯定できない人間はどうやったら自己肯定できるようになるんでしょうか?自己肯定できない人と付き合ったら同族嫌悪みたいなのが発動してしまうし、自己肯定できてる人と付き合ったら自分の劣等感に押しつぶされそうになると思うのです。
思うに、自己肯定と言っても、本当に自分の心持ちひとつだけでは自分を肯定できないと思うのです。一度自己否定のドツボにはまった人間は。いくら自分の心を見つめ直そうとしても、ひとりで見つめている限りなかなかそこから抜け出るのは難しいと思います。
小さいことでも、自分が為したいと思ったことを為した時、はじめて、「自分はだめだ」っていうドツボから抜けられるんじゃないかと個人的には思います。「肯定する/してもらうためになにかをする」ということではなく(それだと成功しても失敗してもまたドツボにはまっていく……「文芸あねもね」収録の拙作参照です☆)ただ単に「したいこと」をする。
それが為された時、その過程で関わった人のことは、「この人は私と同じにおいがしてヤダ」とか「あーこういう人ってみんなに肯定されて育ってきたんだろうなーいいなー」とかいう目では見ないと思います。そういうのが気にならなくなる、多分。
でもいっぽうで、あまりに若いうち「為したいことを為す」というのは原則的に難しいことだと思います。27、8歳くらいでやっと、ある程度周りに信用できる人の顔が見えてくるというか、自分が思う方向に進めるようになるんじゃないでしょうか……。
うーん話が抽象的すぎたかしら? 「こんな自分ヤダ」「この人に対してして起こしてしまった、自分のこんな心の動きがヤダ」とか反省会しているより、好きなもののために動く方が結果的に自分が楽なんじゃないだろーか?! ってことです。「もの」はもちろん人にかぎりません。私は筆名と関係ないところで、1度そういう経験をさせてもらいました。自分自身を肯定していなくても、自分が好きなもののためには案外なにかできるものだし、そうするとやっぱり案外、予想以上のものが返ってくると思います。
●私は『底辺女子高生』を読んで以来、豊島ミホさんのファンです。私自身も、豊島さんに負けないくらいの『底辺男子校生』だった自信があるのですが、豊島さんは今『底辺』だったあの頃の自分(考え方とか生き方)を肯定することができますか?私自身は、肯定せざるを得ないだろうと思っているのですが・・・。
肯定……。当時と同じ状態に戻ってもいい? って訊かれたらそれは全力で拒否します! いやだーー! でも目の前に17歳の私がもうひとりいたら、愚痴られても怒りをぶちまけられても、いちいち「そうじゃないでしょ」っては否定しないと思います。「うんうん」て言ってあげたい……自分だし(激甘)。まぁ同じく「肯定せざるを得ない」って感じでしょうか。むしろ一度でいいから17の自分に会って思い切りハグりたいです……。
●以前に『東京・地震・たんぽぽ』という作品を書かれてますが、当時、このようなテーマで小説を書こうと思った動機は? また、今、この作品について思うことがあれば教えてください。
これはやっぱり今は……今同じのを書くかって言ったら正直無いと感じます……。当時思っていたよりずっと、災害の力が大きいと知りました。そしてそれに対して想像よりずっとまともに人間が動くんだということも、新しく知りました。
当時これを書いた動機は、インタビュー等で「若い女の子なら恋愛ものを避けて通れないのが当然、って思われるのと同じくらい、東京に住んでいるなら震災ものを避けて通れないと自分は思う」みたいなことを言ってましたが、だいたいそのような感じです。いつもはぼんやりとしか頭にない最悪の事態のイメージを形にしてみようと思った、そしてそれを世間に提示してみたかったです。
ただ、繰り返しになりますが、私が書いた震災に比べて、今回の災害の力は圧倒的に大きかったし、それに立ち向かう人の力も大きかったと感じています。『東京・地震・たんぽぽ』は、非常事態に悪いほうの本性が出る人間の数がちょっと多すぎたかなと……。立派な人、めげない人、こんな事態に遭っても面白いほどパワーがある人、そういう人もいっぱいいますよね(自分がそれを書くのに向いていたか、って話はまったく別になってきますが)。
(下の記事に続く)