憧憬ってやつウウウウ(7/8)

こんにちは豊島ミホです。
文庫版『夏が僕を抱く』の発売が近くなってきてるよ〜(25日どぇす)
それから電子書籍のほう、売り切りプロジェクトの2本目も
表紙とテキストの用意ができたので、見込み通り売り出せると思います!
販売開始は18日(水)にすることにしました。多分夜遅いパターン。
こっからおおよそ新月にあわせる感じでやっていけたらいいな〜と思います。
あと先に言っときますが、今回は18禁です。すまんそ。
フリーペーパーも今回は見送りです。やっぱ月1無理だった。

昨日はひさしぶりにがっつり大型書店にいました。
おもに読書感想文に関する連載(not文章)のためです〜。
これ発表していいのかな? 『bianca』のプロフィール欄で
告知したものと同一ですが、まだ「いつから」というのが確定じゃない……。
まそっちに関する詳しい話はしないでおきますが、
昨日はほんとうによい買い物をしたなあ! と思います。
本屋……あてられて逃げてくることも多いんですが
(あの「あてられる」感じってなんだろうね? 肩より上の皮膚にウッてくる)
昨日はあてられなかった!!
書店さんとの相性と、あと本を選ぶ時間の余裕、
それから目的が整っていることがよかったんだろうか〜。
「紹介する本を探す」
これはよいほうにも悪いほうにも転ぶ「目的」だと思います。
友だちへの誕生日プレゼントを探している時なんかは、まず悪いほうへは転ばない。
「○○ちゃんの専門分野と違うけど、これは好きそうかな?」
「うーん、でもやっぱりこっちのほうがいいかも〜!!」
と迷っている時間は超楽しい。
でもこれが、「不特定多数」への紹介となると、
本屋でドツボにはまっちゃうこともしばしばです……。
「この本っ……好きだけど出版社がマイナーすぎてここの本屋にしか置いてなさそう」とか
「私好きじゃないけど、みんな好きそうだからひとつ読んでみようかな」とか。
その上手間をはぶくために一気に買い込んだりすると、
結果的に自分の好きなものがどっかいっちゃって、
え、この手の中に残ってるもの何……? ってなる。
そういう場合、帰ってから、買った本と対峙してもときめきが起こらない。
昨日は、「不特定多数」への紹介ではあったんだけれど
その中でも、何か……
暇つぶしとか話題のためとか上から目線で批評するためとかそーいうんじゃないテンションで
読んでくれる人がいるのではないか! という(私の勝手な)夢想があったので
なんか。よかったのかな。
私が一番「本」(「小説」ではなく)に対してときめいていたのは多分十八の時、
予備校時代です(前の記事見ていただくとわかりますが仙台時代です)。
すごーい本屋が好きだったあ!
予備校近くのツタヤと、駅の向こうの某大型書店、それから寮の隣の隣辺りにある
小さな本屋と、寮から片道15分くらい歩かないと行けないいくびればんと、4店使い分けてました
(大型書店は今は同じ場所にない。ツタヤと小さな本屋はどうなったかわからない)。
特に何を読んでいたとか、何に感銘を受けたかとかってこともないんだけど……。
ちくま学芸文庫とか岩波文庫とか、あーいうのが歩いていける範囲の書店に
存在することにすげえ興奮してたよ!
無駄に古代の叙事詩とか買ったりwwww
予備校の先生が授業で紹介してくれた「ギルガメシュ叙事詩」が
めっちゃ面白そうだったので書店で探して買ったらほんとに面白かった! とか。

それから私は叙事詩を書こうとしたね!!
二科目受験の浪人生の余裕パネエ
まあ、投げたけど。音数?を揃えて文章を書くのが無理だった。
てか話ずれてるわ本へのときめきの話だわ。
十八の時の本に対する認識って、本当に「未知のことを教えてくれるもの」というか……
知りたいことを教えてくれる! っていう信頼があったよね。
しかも「知りたいこと」って、「知って得した気になれる雑学」とかそーいうんじゃなくて
「知」! みたいな!
ほんとに、大学に入る前のキラキラした、手あかのつかない概念としての「知」だったよー!!
しかし私はそういう本に対しての気持ちを忘れて過ごしている。普段は。
読めば得できるよーみたいな顔でのさばってる本がキライすぎてー
そういうのを前面に押し出して売ってる売り場もキライでー
(そこまであからさまなところってそんなにないけど。でも、東京にはたまにあるんだわ……)。
初めてたくさんの本に触れた時期の憧れなんて、思い出さない。
でも昨日は少しそういうのの残像が見えたの。
あくまで残像に過ぎないけれど。
十八の自分が見ていた光そのものは、もうよみがえんない気がするけど。

たまに十八の私に会いたい。
会いたいっていうのちょっとちがうか。頭を繋いでみたい。
人間の頭脳活動のピークは二十くらいということ、昔は信じてなかったけど
今は少しわかる。
あの頃の思考はつるっとしてきらっとして椿の葉みたいだった。
いまは、世間知や自分知? みたいなものはあるけど
あの頃のよどみない「知」への気持ちと、処理能力が戻ってこない。
何か余計なものがついてしまってるんだ
古い木の枝にむした苔みたいに……もさもさっと……
あーやっぱり若い人の吸収力ってすごいのかな?!
若くなりたい!
どの知識が役に立つなんて考えないで、自分に合う合わないすら考えないで
突き進んでいたいよーーーーーー

ところで今週はFoZZtoneのニューアルバム
中村一義のニューアルバムが発売になるし
スピッツの過去音源デジタル版リリースもあるし
音楽行事てんこもりだわ!
FoZZtoneと中村一義は、私にとっては「知」を思い起こさせる組み合わせ……。
そんなニューアルバムのリリースが同時なんてわくわくするよう!