ギフト(2/27)

23日の記事のつづきです
それからも複数の本を読みつつ(なんか私時間がないほど本読むわ……)
「治る」ということについて考えていました。

最初は、「治ったらしたいことがあるはず!」
「可能性が広がるって、客観的に理解できれば
何かがましになるかもしれない!」という気持ちでいたのですが、
しかし、どれだけ考えても
「治ったらできること」の中に「したいこと」がでてこない……
むしろ、「どちらかというと、やりたくないこと」ばかりでてくる。
そして私はふと思ってしまいました

どんなに「やりたくないこと」でも
病気がなかったら私はやってしまうのかもしれない。。。
わけのわからない負い目とか衝動とかそういうものから
自分をまったく希望しない方向に追い込む可能性があるのかもしれない……

これは既に人生で何回もやっちゃってる自覚あります、
別にやりたくないことなのに、それをやれば「普通」というか
「世間的に許されそう」なものに対して進んでいっちゃう……っていうの。
大学出ときゃいーんだろう的な。そして就職したほうがいーんだろう的な。
(できなかったけど、就活まではしました)
しかも私の悪い癖として、それを「ちんたら適当にやる」っていう感じじゃなくて
さも自分の希望であるかのようにすりかえる!
それをやれば絶対幸せになるのだから私は最短経路で完璧に達成する!
とかって自己洗脳してソッチの活動に邁進する。
そして死ぬ程追い込まれてから
「あーーーーーーーーーーちがったああああ!!!!」ってなる

今こうしている間も。。。
病気が治りさえすれば苦痛と苦難の結婚でも
なんとか続けることだけはできるだろう。
とか考えている(別に苦痛な結婚をする必要に差し迫られてもいないのに)。
あるいはべつに全然したくない仕事でもできるだろう。
と思っている(別にしたくない仕事を今すぐする必要に差し迫られてもいないのに)。
身体さえ丈夫ならば心は死んでもいい。とか思っている。
いやうっそ死んでもいいとかまでは思ってないけど
まあそやって感情的に我慢してるうちに
人として成長し何かをつかみ取るかもしれない。とか思ってる。
ある意味とても甘く考えている。
そこまで深刻な問題にしなくても、
身体が丈夫ならば気の進まない大人数の飲み会とかにもおもむき
もうちょっとコミュ力をあげることができる。とか思ってる。
とにかく今あんましたくないことで揉まれないといけないと思ってる。

でも、もしかして
したくないことを絶対にしないって誓わないと
心は、身体は、「治っていいんだ〜」「安全なんだ〜」
って思わないんじゃないだろうか?

つうううか、その世の中の
「したくないけど、すべき(と私が勝手に思っている)こと」を
してない現状でもそれなりに生活が成り立っているってことは
それほんとうに、私の人生には要らないってことなんじゃないだろうか????
病気がなくても満員電車には長時間乗りたくないし
飲み会なんて別にすすんで行きたくないし
わざわざ婚活してまで結婚したくもないんじゃないだろうか?
「少しでも交友関係や可能性を広げるのが善」みたいな世の中
ウゼエ というのが本音なんじゃないのか?

話はかわりますが私幼稚園っていうところに行ったことがないんですよね
うちの町は保育園しかなかったので。
みんな均一に保育園卒で、だいたい小学校行く前の2年だけ。
今は違うと思うけど、当時は3年保育すら少数派でした。

その保育園が死ぬ程いやだった。
保育園なんてどうせ半分くらい自由時間なのにやでした。
自由時間とかいって実質外遊び強制っていう感じだし。
「みんな行くから豊島ちゃん(仮)も外行こうよ」って言われても
「やだ!!!」
だって私走るの遅いしままごとでは下っ端だし何やっても面白くないのです。
だからできる限りずっと絵を描いてました。

しかしそんなことをしていると
おえかきちょうのページがすぐなくなるんです……
普通は1年1冊与えられて使い切らないところ 2ヶ月で埋まります。
「先生おえかきちょういっぱいになりました」
って先生のところに持って行くじゃん?
そしたら先生は……「じゃあお外で遊ぼうか」って言うチャンスなわけですよ
普通に考えたら。
もうお前は1年分の紙を使い切ってしまった! 従ってみんなと遊ぶべきなのだ!
って物理的条件を出して言われたら私はたぶん「やだ!!!」とは言えなかった。

でもそこで先生はね……
なんと! コピー用紙であたらしいおえかきちょうを作ってくれるのですよ!!!
毎回!
予備の1、2冊くらいありそうなもんですが。。。
それを与えるっていうのはやっぱり
町立保育園ではやってはいけないことなんでしょうね。
あくまで手作りなんです。
その辺の白い紙にパンチで穴空けて 色画用紙で表と裏に表紙つくって
(それぞれ違う色で、それがまたおしゃれだった)
穴にリボンを通して結んでくれるんです……

もう……
泣けるよね!!!
先生神!!! って思います今でも思います。
(当時ももちろん大好きだったけどね!!!
以来私はずっと恩師に恵まれた人生を歩んでいます……)

この話で何が言いたいのかというと
その先生が小さい私にしてくれたように
私も私に対してふるまわねばならないのじゃないか。
ってことです。

先生は「紙がないとめんどくさそうだからやっとくか……」とか
「うーんこの子は天才かも! 大人になったら有名な画家になって
保育園に恩返ししてくれるかも!」とか
そういうことは考えていないわけですよ。たぶん。
色違いの画用紙やリボンでそれがわかりますよね。

なのに……大人の私が自分の内面に対して取っている態度といったら。
「紙がないって、お前が自分で使ったんだろ?」
「いつまで外に出てこないで許されると思ってんだ??」
「もーだめもー外で遊べとにかくみんなと一緒に遊ぶのが世の中の常識だから!!

って怒鳴りつけているようなもの
です……ね……(´;ω;`)

もし実際に保育園の時の先生がそんな人だったら?
私は、ただでさえ(そんな手あつい愛情を受けても)
保育園に行くのがいやでギャン泣きしていたのだから、
もはや保育園に行かないことにするために手段は選ばなかったでしょう。。。
「おなかいたい」と言い出すまでは時間の問題だったでしょう。。。
つまりそういうことなのではないだろうか?