いのちのおもみは過去にある(12/12)

またなんか書きに来ることができた。
出産した後に思ったことその2を書く……。

それはね。。。
いのちだいじ!!
っていうことです。

書いてしまうと「標語か」みたいなことですが。
生まれたての赤ちゃんに付き合うと、その無力さに衝撃を受けるよ。マジでこのひとなんもできないんですけど!!! って。
まあお世話する立場としては、息してるだけでエラい^^ おしっこしてエラい^^ お腹すいたの泣いて教えてくれてエラい^^ みたいなとこももちろんあるけれども。いっぽうでやっぱり、泣くこと以外まったく主体的に動くことができない、環境に干渉できない――生き物としてあまりに未熟であるその状態にびっくりするわけ。
で、こう~~~ 「ほんとにすべての人がここからのスタートだったんだなぁ」っていうことにあぜんとする。どんな人でも、この完全に無力な時期を誰かに世話されて生きてきたんだなって。
イエモンの「JAM」のあの歌詞みたいに、偉人でも犯罪者でも同じく、誰かがいっしょうけんめいお世話したし(世話する人がどんな気持ちであれ最初の1ヶ月なんてもぉ絶対手間は取られるよ……生かすだけで大変よ)、その人自身もすごく無力な身体で、世界に対して無知なままで、それでもやっぱり本能で全身でなんとか世話する人を動かして生き延びたわけで。
それを知ると、もはや何歳の人でも何やってる人のものでも同じに、生命はSUGEEEeee……って感じる。

感じるよーになって一番に思い出したのが、自分が20代前半ぐらいの時のことで。
長期休みで実家にいたんですけど(免許取りに帰った夏休みだった気がする)、ニュースで高校生の自殺が報道されたんですね。
そのニュースを見た時に、親が「まだ若くて未来があるのに」「何も死ななくてもいいのに」みたく言って。逆に私は、「ほんと大人ってわかってない!!」「『未来がある』なんてしょせん外野のコメントで、その子にとっては『先がある』ことこそが本当に辛かったんだ!」って思ったんですよ(言わなかったけど)。
しかし親の立場にまわって見ると、やっぱり高校生の自殺なんてめっちゃかなしい。むり。だめ。
「若くて未来があるから」とは思わないけど、「そこまで生きた過去があるから」と思うよー。
その子にとって「過去」が辛い時間の累積であったから、そういう道を選び取ることになってしまったのかもしれないけれど。
生命が辛いって思わせたらいけない。生きてきたことエラいって、子どもには思ってもらわないといけない。。。と思います。
こないだ書いたように、私も高校時代に「死にたい」とか日記に書いてた人だけどww お前無価値ーみたいな周りのdisがあるからそーなってるわけですけど。そういうのも全部もどかしくってバタバタしちゃうほどかわいそう! 無価値ちゃうし、周りも無価値とかゆーなほんとに!!!! って!

ご存知の人はご存知である通り、私は、自信とか自尊心とか自己肯定感とかを持てないことを主な問題として生きてきたわけですが。
そんなん全部すっとばしても、今のこの視点があれば全然平気な気がする! すべての生命は尊いから私も尊い、以上!! みたいな。

でもいっぽうで、それを中学生とか高校生にわかってもらおうとするとやっぱり単なる標語であり綺麗事にしかならない、ってのも想像はつきますな。。。私の今感じてるニュアンスごと伝えることはきっとできない。
し、私自身も、この視点を持っていられる期間ってきっと長くなくて。前の記事で書いたところの「アンダーグラウンド」にいる間限定の話で。
そう遠くなく新しい人付き合いの中で自信をへし折られたり、他人のことを「チッッ!」と思うほど嫌いになったりもするんだろうなー普通に。と思います……(え? 悪く考えすぎてる?)。

そろそろ産後1ヶ月なんだけど、既に俗っぽい自分に戻りつつあるしな……。
新しいスマホが欲しくなったり、服が欲しくなったりしています。

記事とは別段関係のない絵日記イラストでした。