「フィクションゼロ/ナラティブゼロ」についてちょい(8/11)

こんにちは。豊島ミホです。
カレーと焼肉の季節ですね!
暑くて食欲がない時にも、カレー&焼肉はガツガツいけます!
それは「食欲がない」って言わないのかもしれませんが私わかんなーい! です。
ユッケ! ユッケ! ユッケ! ユッケ!(←ユッケコール)
食欲は落ちなくても知能レベルは落ちているようです。
1コ前の記事で「詳しくは時間のある時に(紹介するよ!)」と書いた
「フィクションゼロ/ナラティブゼロ」ですが、
私が紹介しないほうがいいような気がしてきました……
いやもちろん面白い雑誌だし、確実に他の雑誌がとってないポジションに
一歩踏み出してる! って感じなのですが、私が足引っぱってるような……
(こんなこと書いていいんか)。
あ、新しいことできてないよねっ。今わかった。
中学生の時、部活で先輩から「○○子ちゃん、足引っぱってる!」って
超直接言われたことを思い出しました(すごいね。でもほんとだったから一ミリもうらんでません)。
それくらい、「フィクションゼロ/ナラティブゼロ」は新しいよ、ってことです。
新しい新しい言われても、アレだよね。伝わんないよね。
私が感じたところをズバっと書いちゃうと
「現代の文芸はしょせん一部の人間にしか通用しない文化である」
ということを前提として「じゃ、その状態を変えていこうぜ」と
提案してるんじゃないかなと。「フィクションゼロ/ナラティブゼロ」は。
(編集した人じゃないのに言い切っちゃっていいのかな。
 ま、私個人が読み手として受け取ったところってことで4649)
「フィクションゼロ」のほうの古川日出男さんの巻頭の言葉にしてもそうだし、
「ナラティブゼロ」のほうの巻頭トーク記事「探求話法の『ゼロ地点』」
(東浩紀さん×桜坂洋さん×仲俣暁生さん)にしてもそうだと思います。
ってか、「探求話法の『ゼロ地点』」、超おもしろかったです!
このブログの今年6月9日の記事「ケータイ小説考」で私は、
「ケータイ小説文化の人と、一般文芸文化の人、
 両方に小説を読んでもらうにはどうすればいいか」という問題を提起し、
それに自分で「バイリンガルになればいい☆」と答えているのですが
その問いに、「構造が面白ければ面白いっしょ」って
ずばーっと解答を出してくれるようなトークになってます。
てか、バイリンガルとかどんだけバカ。と思いました。
私には、「ケータイ小説派」と「一般文芸派」しか実感として見えてないけど、
オタクとか純文とかいくらでも「派」はあるわけで
そのコミュニティの数だけ言語や背景変えて小説書くのムリじゃん。
でも、じゃ、構造が面白い小説ってなんだよ! って話になるわけですが
上のテキスト中では村上春樹さんが例に挙げられてます。
それ見て「無理かも」って思いました。
結局私はバイリンガルで精一杯なんじゃ。
あ、結局突っ込んだ話してんね……。
でも、文学部在学中の人とか、現段階で作家志望の人には
一読をオススメしたいです。「フィクションゼロ/ナラティブゼロ」。
今ある小説をなぞっててもなんにもなんないよ、ってピコーンて来ると思います。
ってか今書いてるこの記事……私、結構生意気言ってない?
ぜ・ん・ぶ・読者としての私の発言です☆ 
——って書いて逃げたいけど実は結構葛藤してますごめんなさい。