カラとノニ(12/10)

こんばんは豊島ミホです。
実は帰省していました。
なんか……この10日くらいのことがすごくて頭飛び気味です。
10日間ずっと寝てて起きたような感じです。
それは眠かったとかダラダラ休んでたという意味じゃなく。
それくらい頭の中身がシャッフルされて変わってるっていうこと。
その過程を書こうとしたんだけど書いても終わらなそう!
なので結果だけ書きますわ。
これとても個人的な記事でしかも長くなりそうなので折っちゃいます


結果として私はこれから儀式をしまんもす
(いつもブログ読んでくれてるみなさんにもお付き合いいただけますと幸いです。
 誰かが付き合ってくれると思ってやります)。
これを捨てます


なんだかわかりますか?
これ、本なんです。
暗記カードの束だけど、本。
カード1枚につき1つ、初恋にまつわるエピソードが書かれています。
私の初恋といえば日記! ……が3冊ある話を『初恋素描帖』のあとがきに書きましたが、
こっちはリアルタイムじゃなくて、後年思い出して書いたものです。
具体的には大学入学以降。
いつ頃作ったんだったかなぁ……大学3年〜4年辺りかな?
要するに「思い出☆記録帖」なのですが、なんでノートではなく
暗記カードに書いてあるかというと
各エピソードに見出しがあって、さらにそれの頭文字がおっきく書いてあって
(「<わ>分かれ道」とか)
その頭文字を50音コンプしあいうえお順に並べる気があったから
です。
思い出した順に書いていっても。いつでも並べ直せるようにカードなんですよ。
だから「思い出☆記録帖」というよりは……「初恋辞典」?
っつーかむしろ「初恋教典」
レヴェルに完成させるつもりだったってこと!!!!!
そしてカードは今、本文37枚、タイトル1枚、表紙と裏表紙各1枚の
計40枚存在します。
これを……捨てる!!!!!!
捨てるために実家に置いてあったのをわざわざ持ってきた!

もともと2010年辺りから「断捨離」に取り組んでいたのですよ……。
謎のにもつ→服→本やCDなど→自分で書いた/描いたもの
の順に捨てていって、ちゃんと6畳+キッチンの部屋におさまる荷量になった。
結構なものも捨てたんです。
私小さい頃から記録/整理/保存癖がすごかったから。
手製クラス名簿&席順表とか……! 担任でも持ってないコワいものがあったり!!
(細かくやぶって捨てましたので元クラスメイトのみなさまご安心ください……)
でも最後に何かは残っていたんだよね……
中学は良かったな
高校は悪かったな
っていう気持ち。
モノを捨てても、何かとそこに戻ってしまう……
というか、モノを捨てた分、ダイレクトに記憶と繋がってる感じさえあった。
それって、
中学は良かった(のに)な
高校は悪かった(から)な
なんだよね……
コンディション悪いなって思う時に原因を辿れば、そこ(高校)。
力が抜けた時ばくぜんと戻りたいと思ってしまうのは、あそこ(中学)。
どっちも良くない思いだなってわかってはいたけど、
「でもだってやっぱり……そうじゃん!!」ってしか思えない自分がいた。
けどそれって、色々捨てて残った部分だからしょーがないし
自分は思春期と関わる仕事を今もしているので
個人の特性ってことで別にいいのかな? とも考えてた。
それに、「高校」のほうはまだしも
「中学」のほうは良い記憶だから失うのが怖いとゆーか
それあってこその自分! みたいな気持ちがすごい強かった。
でも突然、「どっちも悪い執着だ!」ってひらめいたんだよ
なにがきっかけでそうひらめいたかは
ちょっとオカルトでひかれる話なので伏せますがw
書ける範囲でいうと、先月のK君の件は関係してなくもない。
あれはすごい感動したけど、自分にとってショックな部分もぼんやりあった。
それは「多分自分が一番気にしてない記憶が一番報われた」っていうことに対して?
報われたっていう言い方は変かなぁ。
でも「Kくんが」じゃなく「私の記憶が」が主語だったらおかしくないよなぁ。
Kくんの名前は一度もぐぐったことがない……って書いたけどほんとうで。
昔のことをエッセイに書いたりしたわりに、
今どうしてるのか、元気でいるんだろーか……とか一切思ったことがなかった!
大したことない記憶なので消してる というわけではない。
思い出すとわー楽しかった、なんか愉快だったなーっ!! ってはっきり
よかったっていう思いが出てくるけど、普段は思い出さない。
心配していないっていうことなんだよね。
Kくんのことを……でもあるけど、それだけじゃなく、
「その記憶が自分の存在をおびやかすかどうかについて」
心配してないってこと。
それが「執着してない」っていうこと。
なんだと思う。
その「執着してないもの」が一番速く、鮮やかに
今に届いてくれた……。
反面、「執着してるもの」たるや!!!!!!!!!
っつーーはなしですわ……。
なんだろー結局
「すべて自分の中で起こっていることだから別にいい」って
前は思っていたんだけど
本当に自分の中だけで済んでいる話なのか?
その執着はめぐりめぐってどこかで誰か(というか、相手)に
迷惑をかけているのではないのか?
って思ったっていうこと。
お前の思考回路は相変わらず飛び気味!
って読んでる人思うよねごめんなさい……
私の思考は飛び石なの。飛石連休なの。
まあとにかくその考えが頭にひらめいた瞬間
「じゃ捨てる!」
って思った。それしか思えなかった。
良い思い出じゃなくて悪い思い出のほうは、
消したらその時の自分が浮かばれないとかって気持ちもあったけど、
実はこの間、高校の学生さんがつくってくれた『リテイク・シックスティーン』の
映画を観るっていう体験をしたのですよ。
っていうかそれが「映画甲子園」で最優秀作品賞に選ばれたのですよ
(ちなみに私は使用許可以外なんにもしてない! 全部高校生のみなさんの力!
 おめでとうございます!)。
今年は「桐島、部活やめるってよ」を観るっていう経験もしてて
それでほとんど高校時代のネガティブ感情飛んでってはいたんだけど
今回の映画はまた別な……なんていうんだろう、直接的な感じで
(あったりまえですけど)
「もういいじゃないか」って思わせてくれました。
私は、一切の共同作業ができない、掃除ひとつまともにすることができない
クラスで高校の後半2年間を過ごしたけど
それをこーして、別の高校生が共同作業で拾ってくれて、
それが晴れて実を結んで……
私ひとりが16歳に戻ってやり直すよりずっと大きなことにしてもらって
もう、ほんとにぜんぶ、いいじゃないか
って思えた。
ようやく。
直前に、『初恋素描帖』の朗読劇も見せてもらってるし。
「のに」も「から」も、もーー全部持ってってもらった!!!!
私の中に残ってなくていい!
……ということがあって、この儀式にいたるわけです。
この文章を書いてる今、カードはまだ捨ててないけど。
明日の朝にはきっと私の家からなくなっているでしょう。

そうなんでも捨てていいもんか?
特に「人生がネタ」な職業に就いてたら
記憶や感情はすべて財産だと思ったほうがいいんじゃねーか?
……って突っ込みたい人もいると思う……。
てか、私自身、それも引っかかりとして感じてた。
すべて捨てたとして、じゃー私のこの記録/整理/保存癖は
なんのためにあったのだろう……みたいな。むなしさ?
小さい頃から、自分の目にうつるもの感じるものの存在期間が一瞬だって確信してて
少しでも形に遺そうとしてきたのに。。。って。
でも、さっき、「なんのためにあったのだろう」ってむなしく嘆息
した瞬間に、
「それって、自分のことしか記録/整理/保存してないから?」
「それが他人に向いたとき、ほんとの意味で『仕事』になる?」
ってピコーン☆ て思った!!!!!!
思ったよーーーーーー!!!!!!
ごめんまた飛石。
仕事の話はまた長くなるし展望もまだ定まらないのでいつか別の機会に……。
でも捨てた時新しく入ってくるって本当なんだな。と思いました。
もー全部私の手からは羽ばたいていくといーさ!

他人の幸せを祈る行為には
その人の幸せを自分の幸せと完全に切り離して考えるということが
じつは必要なのだな。
と思いました。
いやよくわかんないけど。多分ね多分。