長い遠回りの道(9/4)

今日は雑談ですー
遅まきながら、代ゼミ仙台校閉校のニュースについて、
卒業生として思うところを書きたいです。
思うところって……ただの個人的な思い出ですけどね。
私は浪人生、しかも寮生としてガッツリ代ゼミに在籍していたわけですが
めっちゃ代ゼミ好きでした。好きです。
毎年、大学受験シーズンになると
「浪人時代の1年がいかに有意義だったか」
をここに書きたくなるんですけど、
「今書くと早すぎるわ……国立の後期が終わらないとだめだわ」
と思って我慢しているうちに何故か4月になっている。
というパターンなんだよねいつも。
でも「浪人するか否か」という話題自体が結構時代遅れだったんだなあと
この、代ゼミの拠点閉鎖のニュースを聞いた時に気付きました。
代ゼミが特に事業に失敗したという雰囲気ではなかったので。
こんな大手が撤退しちゃったぞ! これから予備校バタバタ行くぞ!
って報じられ方だったので。
少子化以外に、浪人自体が超ぜいたくになっちゃったって
原因があるのかな。
あとは東進とか、1校を小規模で運営して
分散させてる予備校のほうが流行ってるのかなぁ……。

……。
なんか「思い出」と言うともう山ほどありすぎて
逆にぱっと出てこないわ。
予備校って、私の中では一番
「自由な学び」に近い場所だったんですよ。結局。


すべてが生徒の自由意志に委ねられている。
っていうことにまず「すげーなー」と思いました。
高校や大学と違って、出席時数はカウントされないので
授業出てる子はみんなほんとに授業受けたくてそこにいる子!
だから当然真剣に授業を聞いてノートを取っている……
(疲れて居眠り、程度の人はいるけど。私も若干それはしたけどw)。
卒業資格のためじゃない学校ってほんと、
見たらすかっとするよ!
それまで学校に行きたくなかった子であればあるほど、
感動すると思う。
あとはまー 先生たちの雑談がやっぱ好きでした。
予備校は 高校の55分からぐぐっと1コマの時間が増えて、90分になるので
人気の先生は 45分あたりで1度休憩がてら 雑談を挟む傾向にあったんです。
そのほうがリフレッシュして集中力が続くんだろうなと当時から思ってた。
で雑談の内容が、先生にもよるけど、大学以降の世界に向けて
ばーっと開いているんですよね!!
たとえば英語の先生だったら、大学入ったらまず
電子辞書買ってTIME読め! ここで身につけた文章読解力落とすな!
とかって話をしてくれるんですよ。
で、さらにその先の話……英語が身に付いたら、
どういう風に世界に噛んでいけるか、
「いい企業に入れます」なんてレベルじゃないことを話してくれるの!
しょ、詳細は忘れてしまいましたけど……
「私も国際関係に一枚噛む学者になる!!」
「……でもやっぱここで喋ってる先生がカッコイイから代ゼミの講師になりたい!」
とか思うくらい。ゴールデンウィークまでに見事に洗脳されました。
わくわくするんだよね。
未来! 未来の話をいっぱいしてくれる。
とはいえ古文の吉野先生の暴走族ネタみたいな、
ただ単に笑える系の雑談も好きでしたw
なんか定番の友達が出てくるんだよね? 名前なんていったっけ……。
あと漢文の宮下先生の中国ネタも好きだった。あーいう
違う世界の話が授業中ポンって入るのも面白かったな。
小中高校でも、記憶に残っているのって先生の雑談だったりするし。

えーっと予備校はまだいいところがあって〜それは〜
小論文の指導がガチ
ってことです。
MAJIの文章力を叩き込まれます。
MAJIの文章力ってつまり、
「相手に意見と論拠を正しく伝えるための文章力」
ってことです。
私はそれまで作文ジャンルでは甘やかされて天狗になって育ってきたので
予備校に入った途端、小論に容赦なく赤入れされまくったのには
少々ビビりました……。
「この設問に対してこの返しはない。読解の時点で間違い」
みたいな指摘もしばしばあったし……
ま・ち・が・い!!!
みたいのって結局「小説の書き方を習う場所」では
指摘してくれない気がするんですよね。。。
(知らないで言うのもアレですが、ほんとそうだと思うから
 行かなかった。大学の授業も選択しなかった。)
でも1回基礎の基礎はパチーンと指導してもらったほうが
いいと思う。私は。
小説の書き方を学ぶのが無駄とは言わないけど、
その前に小論の書き方を叩き込まれたほうが後が楽なように思える。
「見せびらかすためじゃなく、伝えるために文章を書いてるんだろうがよ!」
ってはっきり言ってもらえて……
直接そーは言ってないけど、それが1年かけて身に染み込む授業で、
ほんと代ゼミの小論は、受ける価値ありました。
それを当時家で力説していたために、実家の家族は今でも
「私が作家をやれたのは、直接的には代ゼミのおかげ」
と思っています。
まそれを断言するのはアレですけど
デビュー作を思いついたのが結局予備校に向かう電車の中だったため
(他の予備校の隣にラブホが建設されているのを見て、
 「私があそこの生徒だったらスゲーやだ」と思ったのがネタ元)
予備校を経由してないと
作家も経由できなかった可能性は結構高いです。

あとは仙台っていう街の思い出ですね。
予備校がある東口の整然とした感じとか……
時々西口のほうに出て買い物する時間とか……
「地球堂」っていう画材屋さんでカラーインク見るの好きでした。
上京してから、「世界堂」と名前がごっちゃになって非常に困りました
(世界堂が先なのかな、やっぱ……)。
ギャル服フロアを通らないとジュンク堂に行けないあのビル
(名前なんてったっけ? あ、「イービーンズ」だ)も
混沌とした趣があって好きでした。
南仙台の寮の周りもいっぱい歩きました!
多分歴代女子寮生で一番南仙台を歩いたのは私!(←本気)
寮に入ってすぐ市内の地図買って
色々開拓しました。
南は名取まで徒歩で行きました……
細長い寮の部屋の窓から見える夕焼けとか
近所の小さい本屋さんの棚の配置とか
友達とふたりでコンビニ弁当食べた神社脇の公園とか
もうめっちゃね。憶えてるの。

中でも忘れられない一番の景色は
南仙台の駅から寮に帰る遠回りの道です。
駅から女子寮までは歩きでもほんとにすぐ着いてしまうので
なんか遠回りの道ないだろうか……って思ってたんですよね。
通常だと、駅の改札から連絡通路で線路を越えるってルートなんですけど
いつもそれだと味気なく感じて、
踏み切りを探してみることにしました。
たぶん地図は持たないで
いつかの学校帰りに ふらっとやってみたんだと思う。
そしたらほんとに遠回りになって。
すごい、ひとけのない、静かな田んぼの中の道に入っちゃって、
誰にも会わなくて、とんぼだけ飛んでて。
やっとたどりついた踏み切りは おもちゃみたいに小さくて
脇にいっぱい彼岸花が咲いてた。
でもその踏み切りを越えたら、わりとすぐ
「いつの間にか」って感じで知ってる道を歩いていたんだよね。
いつもの通学路と寮の建物を、逆から見ている状態で。
「あっここか!」みたいな。
なんかそれがすごい記憶に濃い。
やっぱそれ自体が自分にとって「浪人時代」の象徴っぽいからなのかな……
通らない人は知らない遠回りの道、長い遠回りの道。
でも私はその道を歩いてみてよかったなと思ったのだよね。

寮を去る日は泣きっぱで
迎えにきてくれた親の車の中でもしばらく泣いてました。
大学が東京で、
多分もう仙台に住むことはないだろうとうっすら感じてたから。
そしたら運転してた父が わざわざ代ゼミの前を通って
もーいっかい校舎を見せてくれて。
私は泣きながら
「私の子どもは絶対代ゼミに入れる。この代ゼミに入れる。絶対」
って言いました。100%本気で。
それが、もう完全に「有り得ない未来」になったんだなと
このニュースを聞いた時真っ先に思いました。
後ろに遠ざかる茶色い校舎と赤い看板。。。
まあベタな言い方ですけど、私の中で代ゼミ仙台校は永遠です。
今年度でなくなってしまってもずっと、一番大好きな母校です。

……なんかいい話っぽく締めましたけど
代ゼミ愛が行き過ぎた私はマジで居残ろうとし、大学合格後
「来年は池袋校に通わせてほしい。学費半分の特待生待遇で
と事務室みたいなとこでゴネました。
もちろん親に内緒で自腹切って、大学生と併行で代ゼミ生をやる気でした
(学費は半分になれば捻出できると踏んだ。全額は無理だと思った)。
これ思い出すとちょっとこわいです。
仮面浪人とかじゃなくて趣味で代ゼミ生を続けようとした。
学校が困惑するレベルのガチ信者!
結果的にはやさしく諭されて終わりましたけど、
よくマニュアル外の生徒に対応してくれたなと……。
あの時の事務のえらい方、ごめんなさい。
私は無事4年で大学を出ております。
なんかもっとずっと残してたい浪人時代の小ネタあるんですけど
書ききれません。