今生の日記はすべて捨てるからお前よ俺よしあわせになれ(上・1/2)

あけましておめでとうございます。
2020年ですね。そんなバカな感すごい。でも2020年ですね。

……

こういうふうにすごく投稿の間があいたときに……
何をしていたかじっくりねっとり書きたくなる気持ちと、しれっとチャラっと「2019年わたし的ベストバイ~☆(遅いけど)」みたいな軽い文章から始めたくなる気持ちがせめぎ合う。
じっくりねっとり書くのはやっぱり時間がかかるし、むっちゃ長文化したあげく書き切れず永遠の下書き化する恐れがあるし、かといって「わたし的ベストバイ~☆」をやってしまうと今度はじっくりねっとり書きたかったことが忘却の彼方になってしまう……。

て、結局わたしは「じっくりねっとり」のほうをやりたいのかそうか。じゃ、書けるだけ書いてみます。

2019年の終盤、わたしは「捨て作業&掃除」に目の色変えて取り組んでいました。
きっかけは一応、台風2連チャン……なのかな? 「まだまだ備蓄が足りない!」「この装備じゃ本番をゆうゆうと生き抜けない!」「でも、備蓄するスペースがない」→「じゃあまずは家にあるものの整理からじゃーーー!」となった。

あの。いちおうわたし、意外ときれいな家に住んでいるんですよ……?
文章が散らかりがちだから部屋も散らかりがちに見えるかもしれませんが、再上京で4畳半からスタートした後はそれなりに清潔にして過ごしています。部屋が狭いと気楽に雑巾がけできたし、仕事も食事もいっこの机なので毎日寝る前にものがない状態にする&朝起きたらふきんできゅっきゅするのは必須でしたし。結婚後は夫がきれい好きなので便乗する形できれいに暮らしておりまする……(産後は1日と欠かさず毎日全部屋掃除機かけているんだよ。。。最初は育休の夫がぜんぶやってたけど。今も半分以上は夫だけど)。

でも。そんな家でも、まだ「見て見ぬふりゾーン」って存在するわけっすよ……。
前職時代からずっと持ち歩いている謎書類。靴棚の隅にある工具箱っぽい謎物体。厚さと色と使用感がそれぞれに違うタイツがぎゅうぎゅうに詰まった引き出し。普段使わないものをとりあえずで放り込みつづけてどこに何があるか把握してないウォークインクローゼットの上の棚などなど。。。

これらを! 全部クリアーにして、スペースを捻出する! 1立方センチメートルを削り出す!

という気持ちで根本的整理に取り組みました。「ました」っていうか、本当に根本的すぎて、1ヶ月以上続けても今なお進行中なんだけど……。
これがやってみるとめちゃくちゃ楽しい! とにかくできる限りすべての時間を片付けに費やしたい! ブログ書いている場合じゃない!
あと、楽しいだけじゃなくて、なんかいろんなことがクリアになってくる。必要なもの、不要なものがはっきり見えてくる。

いがいとね、私片付けしながら、買い物もしたんです。たとえば家でメイン使いにしている箸を一気に買い換えたり。
普通に使えるから漫然と使っていたけれど、角が削れて色が一部まだらに見えるくらいボロボロだった。そういう箸でいつまでも過ごしちゃだめだ。
ランチョンマットも、手洗い必須のものから洗濯機可のほうへ買い替え。洗い替えも用意して、ちょっと汚れてきたら洗えるようにしました(つまり今までは汚いのをごまかしごまかし使ってた!)。
こういうのはリニューアルが必要なもの。「まだ使える」で判断しちゃだめだって、はっきり感じ取れるようになりました。

そしてこうなると気になってくるのが、実家の荷物。

これ、結構ひとによって違うんだろうなあと思うんですけど。私はめちゃめちゃ、実家をストレージ化してるほうの人間なんですよね……。
なんだろう、この感覚。「そうじゃない人」にうまく説明できる気がしないんだけど、実家も私の場所だと思っちゃってるんですよ。私の部屋はずっと私の部屋! って。今はやらないけど、実家に出戻りするまでは「保管したいけどマンションには置けない本を実家に送る」「帰省時に整える」とかやってたし……。

本ぐらいならまだしも、私の場合は……

学生時代のすべて

といっても過言ではないものを実家に残してきているのです……
通知表や小学校時代の作文習字なんて当たり前、担任の先生が手書きした学級通信、友達と合作した巨大らくがき、初めて自分の意思でやり込んだドリル、好きな男子が朝自習のプリントで折ってくれたよくとぶ紙飛行機エトセトラエトセトラ、

自分がちょっとでも残したいと感じてしまったものは、本当にすべて残してある! 袋菓子がダースで入っていた巨大な段ボール箱(←おみせでもらってきた)にぶちこんで!

しかももっと怖い話があってですね、そういうものを私が捨てられないのは……あのこれ本当に恥ずかしいんですけど、本来口外すべきことではないとわかってはいるんですけど、

将来自分の記念館が建つと思っているから

なんです……!!!!!
「建つと思っていた」とせめて過去形で書いて茶を濁したかった。しかし正直に書きます。私は37歳にもなるつい先日まで、どこかで記念館の夢を信じていた。マジに。
この人生でいったいどうして記念館とか建ちようがあるのか知らないけど、子どもの頃に描いたビジョンが鮮明すぎて、どうしても消せなかった。私はたぶんここに残らないし妹も嫁いくだろうし、ほかの家族は皆死んで実家はなくなってしまうけど、跡地に私の記念館が建って観光客がほそぼそながらも訪れつづけるのだ、って。私の自室からの景色はたとえ私が死のうとも残るのだ、って(そういうセンチメンタルな「永遠化願望」に、もちろん私の生まれながらの野心、有名になりたい欲求などが掛け合わさって「記念館」のビジョンになってるわけだけど)。

そんなビジョンがあったから、「あの荷物、捨てなきゃな」と頭で考えた直後に「それじゃ記念館の展示物がなくなっちゃうよ~」と感情からの反論が来た。
そしてそれを素直にカムアウトしました。夫に。夜、並べて敷いた布団の中で。
実は私、実家の荷物を捨てられないんだ。それは将来自分の記念館が建つと思っているからなんだ、って。
そしたら何て言葉が返ったと思う?
「それ、本気で言っているならよく考え直したほうがいいよ」ですって!!!!
冷静か!

そのときは「無理だよ、思い込みってわかってもそう簡単には消せないよ」みたく言い返したけど。
たぶんそれからほんの数日で、「やっぱ全部捨てよ。」というほうに心の針が振れました。
思い出段ボールの中身だけじゃなくて、自分が後に残したいと思っていたものすべて。夫が言うように「よく考え直した」ら、必要ないものだとわかった。
基本、「残したいもの」はすでに「必要じゃないもの」なんだよ……それはたくさんの身の回りのものを手にとって、捨てたりあるべき場所に置き直したりするたびに、腑に落ちてわかっていった。
あとこの文章書きながら気がついたのは、私の永遠化欲求ってそもそも、絶対に消えるものに向けられてるということ。消えるものって、使う人がいないから消えるのに…… 必要なくなったということなのに、その事実を受け入れられないんだ。

「実家の荷物」には、高校時代からずっと書いてきた日記も含まれます。
手元に2冊あるから、実家にあるぶんは10冊くらいで、容積的には大したものじゃないんだけど、心の秤(はかり)で量ればとても重い存在だった。
実家のものを捨てると考えてみたときに、当然のように「日記だけは引き取らないと……」と収納場所を考え始めてしまったくらい。

でも違う。日記だってもう、要らない。

日記の話は長くなりそうなので記事を分けます。

今生の日記はすべて捨てるからお前よ俺よしあわせになれ(下・1/2)
上の記事の続きです。 日記! エッセイやこのブログなんかでさんざん「良いものです」と語ってきた日記! 本当にね、良いものだと信じていたんですよ。たくさん書いて、たくさん読み返して、ちゃんと使...

アイキャッチ画像は、四畳半お花シリーズより未アップ分。